なんでも鑑定団で栃木県の白血病に倒れ若くして亡くなった天才陶芸家の加守田章二(かもだしょうじ)さんの作品が鑑定に出されることとなりました。
加守田章二さんは穴窯で灰釉という植物灰を使った陶器を製作されていたそう。
穴窯で陶芸、そして白血病というと、現在NHKで放送中の『スカーレット』を思い浮かべてしまいますが、あのドラマのモデルの方は、滋賀県の信楽の方なので、加守田章二さんは全く関係ありません。
でも話題としてはすごくタイムリーで、なんでも鑑定団の制作サイドとしても少し話題に乗っかれるタイミングで放送したのではないかと思います。
それはさて置き、今回はそのなんでも鑑定団で鑑定される作品を作った加守田章二さんの経歴やプロフィール、作品や本を紹介します。
目次
加守田章二の経歴やプロフィール/なんでも鑑定団
大阪府岸和田市に生まれ、京都市立美術大学で陶芸を学び、益子で陶芸家として独立し、遠野に工房を移し、さらに東京に工房を移し、間もなく亡くなった加守田章二。東京ではどのような仕事をしようと考えていたのか。早すぎた死が惜しまれます。
1967年34歳頃の加守田章二。写真:益子陶芸美術館提供 pic.twitter.com/z0kwmBYSkL
— 菊池寛実記念 智美術館 (@MuseeTomo) July 5, 2019
プロフィール
- 名前:加守田章二(かもだしょうじ)
- 生年月日:1933年4月16日
- 享年:49歳(1983年2月26日)
- 出身地:大阪府岸和田市
- 最終学歴:1956年 京都市立美術大学工学科卒業(現・京都市立芸術大学)
- 職業:陶芸家
経歴
加守田章二さんは1959年から栃木県益子町で独立し作陶を行っていました。
その後、1968年からは岩手県遠野市に工房を移して作陶を行われていたそうです。
なぜ栃木県から岩手県へと場所を移したのかの詳細はわかりませんでした。
加守田章二さんの作品は、作陶を始めて早い段階から数々の賞を受賞されておられます。
受賞された賞はこちら。
- 1961年:日本伝統工芸展に初入選
- 1966年:日本陶磁協会賞
- 1967年:高村光太郎賞
- 1974年:芸術選奨文部大臣賞
20世紀陶芸界の鬼才と言われているだけあって、プロになってすぐその才能が認められたんでしょうね!
1979年に東京都東久留米市に工房を移します。
1980年に体調を崩し、翌年入院し療養しましたが、1983年に白血病でお亡くなりになりました。
白血病は今でこそ治る方もたくさんいらっしゃいますが、この当時は骨髄バンクもなく、難しい時代でした。
骨髄バンク設立にご尽力された、橋本明子さんや、スカーレットの主役のモデルになっていると言われている神山清子さんには感謝しかありませんね。
加守田章二の作品の画像/なんでも鑑定団
加守田章二さんが生前に作られた作品をいくつか画像を載せておきます。
素人目線で見ても何だか素晴らしい作品だなと感じられました。
加守田章二の本(著書)/なんでも鑑定団
加守田章二さんはご自身で本も執筆されているので、もっと加守田章二さんについて知りたい方は是非読んでみて下さい。
加守田章二(白血病の天才陶芸家)の経歴やプロフィール、作品や本を紹介【なんでも鑑定団】のまとめ
なんでも鑑定団で作品が鑑定に出された加守田章二さんは、現在はお亡くなりになっていますが、いまだにその作品は生き続けて、テレビでも紹介されたり、加守田章二さんの作品が大好きな人はたくさんおられるので、陶芸家としてはきっと今でも幸せなんじゃないでしょうか。
人に愛される作品を人生で残すって本当にすごい事ですよね☆
たまに加守田章二さんの展示会も行われているようなので、機会があれば行ってみてはいかがですか?
以上、加守田章二(白血病の天才陶芸家)の経歴やプロフィール、作品や本を紹介【なんでも鑑定団】のまとめでした。